情報メディア学会: Japanese Society for Information and Media Studies
更新日[2009.09.29]

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学会ホーム > 第4,5期会長挨拶

" 知の地盤沈下 " をふせぐ知識人

西 垣  通


 このたび、思いがけず多くの方々のご推挙をうけ、情報メディア学会の会長に就任いたしました。不慣れではありますが、本学会の発展と社会的貢献のために、皆様とご一緒に力をつくす所存でおります。
 およそ実務能力の乏しい私がこのような大役をお引き受けした理由の一つとして、近ごろ、この国において「知の地盤沈下」いや、あえて言えば「知の基層瓦解」が急速に進んでおり、もはや「いてもたってもいられない」気持ちになったことがあげられます。
 ごく普通の高校生が、「日本に原爆を落としたのは中国だっけ、ロシアだっけ?」「韓国併合条約って何?」「日本がアメリカと戦争したなんて、ウソでしょ」と言っていることをご存知でしょうか。この国では、いったい何が「知識」なのでしょうか……。
 何も、みんなもっと政治に興味をもて、と脅すつもりはありません。私は戦後生まれの全共闘世代とはいえ、学生運動もやりませんでしたし、政治活動にはあまり興味をもてない人間です。人々は今、ビジネスや娯楽やファッションなどの詳細知識の大海のなかを泳いでいますが、それもある程度やむを得ないでしょう。しかし、少なくとも、自分のおかれた歴史的状況を把握し、それにまつわる巨大な恐ろしい痛みについての感受性をもたないかぎり、どんな知識も無益だと考えるのです。
 プラトンの『国家』のなかで、ソクラテスは国家体制のあるべき姿について熱く語っています。哲人のおさめる体制が理想なのは言うまでもありませんが、これと異なる四つの体制として、第一にスパルタ的軍事体制、第二に富者による寡頭制、第三に民主制、そして第四に最悪の僣主制をあげています。これら四つは、この順に出現するというのです。
 われわれのとっている民主制の欠点として、ソクラテスは、「何人にも自分のしたい放題のことをすることが許されている」とか、「(要不要によらず)快楽はすべて同じで、平等に尊重される」とか、「(秩序のない暮らしを)快い、自由な、幸せな暮らしと呼ぶ」などを指摘しています。
 いったい民主制国家ではどんな人物が指導者となり、政治をつかさどるのでしょうか。「人がどういう仕事から政界に乗り出して政治をいとなもうと、そんなことは問題にもしない。ただ、大衆に好意を寄せていると語りさえすれば、それでもう、その人を尊敬する」というソクラテスの言葉に、現在この国にはびこる「政党の有名人漁り」の状況を連想する人は多いはずです。芸能タレントが政治家になって悪いとは言いませんが、テレビ映りと即興話術だけで、いったい行政などできるのでしょうか。
 かぎりなく自由と快楽を追求する大衆による民主制の先には、傲慢な暴君が独裁的に支配する僣主制が待っています。「極端な自由から、最も大きく、最もはげしい隷属があらわれてくる」と、ソクラテスは喝破するのです。
 ……もちろん、まだ希望を捨てるにはおよびません。匙をなげる必要もありません。むしろ、ひるがえって自分たちの現状を直視すべきでしょう。学問にたずさわる者が、政府・産業界主導の成果主義や競合的研究資金に眼をくらまされ、自分が何をなすべきか、本来の知とは何なのか、じっくり腰をすえて考える暇がなくなっているとしたら、それは恐ろしいことではないでしょうか。
 「日本に原爆を落としたのは中国だっけ、ロシアだっけ?」と問いかける高校生は、頭のなかにテクニカルな知識断片をいっぱい詰めこんでいます。彼らを「なんて今の若い奴らはバカなんだ」と冷笑するのではなく、彼らが真の教育を受けてこなかったことに心を痛めるべきなのです。
 近ごろの大学には専門家(エキスパート)がいるばかりで、知識人(インテレクチュアル)は少なくなってきたと言われます。実務教育に力を入れ、教養教育をないがしろにする浅薄な政策も一因でしょう。ソクラテスやプラトンのいう「哲人」とは言わないまでも、目先の成果に振りまわされず大所高所からものごとを思索する知識人――そういう存在がいなくなれば、あとは僣主制の地獄にむかって突き進んでいくばかりではないでしょうか。
 古来、図書館は言うまでもなく知の集積庫でした。図書館が知識人を育ててきたのです。情報メディア学会は、伝統ある図書館情報学に新たなデジタル情報科学を組み合わせ、21世紀の知を情報メディアとして再編成するという学問的な使命をおびています。その活動が「知の地盤沈下」の歯止めとして機能するよう、精一杯努めたいものではありませんか。

(2009年8月)


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